生きているだけで学んでいる

生きているだけで教育されている

以下『』成田のおじさんお言葉。

『例えばゲームでも別に一人でプレーするRPGだって、ある意味で戦略作りとか、何かのゴールに向けた意思決定の連続みたいに捉えられるし、マルチプレーヤーだったらオンラインでどういう風に、人と人とがコラボするのかとか共同するのかみたいなののちょっとしたシミュレーションになってるわけじゃないですか。』

『ゲームってインターフェースの中での行動からその人のキャラみたいなのをどう読み取るかとか、色んな側面があるわけじゃないですか、なので、これは教育なのかこれは教育ではないのかみたいな区別っていうのはあんまり意味がないんだろうなと思っていて、一旦その何かの目的が決められた場合には、そのために有効なものならなんでも使っていくみたいな、なんか目的至上主義的な発想も結構重要なのかなという気はしてますね。』

『そういう意味で言うと、その教育って僕たちが読んでいるものの範囲をどんどん広げていくっていうことがこれからの時代は大事なんじゃないかなっていう気はします。』

『なので多分教育みたいなものを考えるときに二つのものを混ぜ合わせがちだと思うんですよ、一個は何が目標なのかとか、どういうことをやったら教育と言えるのかっていう、なんか価値判断の問題が一個、それと、なんかある価値とか目的を達成するために何が有効なのかっていう話、この二つをなんか僕たちすごい混ぜ合わせて話し合う傾向がすごい強いじゃないですか、その二つをはっきり分けるっていうことが、すごい大事なのかなっていう気はしますね。』

前者の目的というかそこを議論しないまま、ゲームはダメなんじゃないかみたいな話になっている・・・

『その二つのうちその後者の何が有効なのか、ということを考えるためにはデータとかエビデンスとか、試行錯誤の力っていうのが、すごい重要だと思うんですよね。』

『でも前者のその価値観とか目的設定みたいなものを考える時には、どちらかっていうとデータとかよりも思想とか自分とどう向き合うかみたいな、ことの方が大事になってくるっていう意味で、二つの問題は別の問題だし、そのためどういうツールを使って考えれば良いのか、決断すればいいのか、全然違うなっていう印象があります。』

成田のおじさんにおける前者のところは、世の中の一般的な価値観から解放される子供にしたいっていうことですよね?

『と、僕は思い込んでます。』

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オワリセトなまけもの
らくしてたのしむことしか考えていないくだらぬ男。人生を不幸がる文化に取り込まれた、なま怪物。働かずにどう余生を楽しむか行動しながら日々生きる。あ〜やだやだ